だいたい反射的に
「怖い」「自由がなくなる」「ディストピアだ」
という反応が返ってくる。
でも正直に言うと、
私は監視社会そのものを、そこまで悪いものだとは思っていない。
理由は単純で、
私は何も悪いことをしていないし、
むしろ被害に遭う側に立つ可能性の方が圧倒的に高いからだ。
被害者だけが、なぜ一生苦しまなければならないのか
事件や犯罪が起きたとき、一番理不尽だと思うのは、
「何も悪いことをしていない人」が、
被害に遭ったあとも長く苦しみ続ける構造だ。
加害者は捕まらなかったり、
捕まっても数年で社会に戻ってきたりする。
一方、被害者は
・トラウマ
・生活の崩壊
・人間関係の断絶
を抱えたまま生きていく。
正直、なぜこんな構造が当たり前のように受け入れられているのか、
私にはよく分からない。
それなら、
監視によって
・犯人の特定が早くなり
・事件解決が迅速になり
・被害が最小限で済む
社会の方が、よほど合理的だと思う。
「何もしていない人ほど、監視を恐れる必要はない」
「監視されるのは気持ち悪い」「プライバシーが侵害される」
そう言う人の気持ちも分からなくはない。
でも本音を言うと、
余程の権力者でも、金持ちでも、有名人でもない限り、
あなた個人の生活に、国家が強い興味を持つことはほぼない。
特にお年寄りに多い
「個人情報を取られる!」
という過剰な警戒を見ると、
正直、
「どれだけ自意識過剰なの?」
と思ってしまうことがある。
名前や住所や行動履歴を見たところで、
大多数の一般人は
「その他大勢」でしかない。
問題は「監視」ではなく「使い方」
NHKの「映像の世紀」で描かれていた、FBIとフーバーのやり方が問題だったのは、
監視そのものではない。
・特に悪いことをしていない人の弱みを握る
・政治的に利用する
・言うことを聞かせるための材料にする
ここに踏み込んだ瞬間、
それは治安維持ではなく、権力の私物化になる。
だから前提は一つだけ。
監視は、犯罪防止と事件解決のために限定されること。
脅迫や支配の道具にしないこと。
この条件が守られるなら、
私は監視社会を全面的に否定する理由はない。
自由とは「見られないこと」ではない
よく「監視社会=自由がない」
と言われる。
でも、
犯罪に怯えながら暮らし、
被害に遭えば自己責任で片付けられる社会は、
本当に自由だろうか。
私は、
・安全に暮らせる
・被害に遭いにくい
・被害に遭っても迅速に守られる
この状態の方が、
よほど実感としての自由があると思っている。
結論
監視社会が問題なのは、「見られること」ではない。
・誰が
・何のために
・どこまで
・どう使うのか
そこが歪んだときだけ、
監視は危険になる。
何も悪いことをしていない人が、
理不尽に傷つけられ、
その後も苦しみ続ける社会より、
適切に監視され、
被害が減る社会の方が、
私はずっとまともだと思っている。

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