本記事では、ロバート・マクナマラという人物、内部告発を行ったダニエル・エルズバーグ、そして政治判断を下した大統領たちを整理し、単純な善悪やラベルから距離を取って考えてみたい。
マクナマラの経歴と本来の役割
マクナマラはフォード社で統計と管理手法を武器に頭角を現し、国防長官としてケネディ政権・ジョンソン政権に仕えた人物だ。彼は確かに数値分析を重視したが、それは戦争を冷酷に楽しむためではなく、混乱した意思決定を避けるための手段だった。重要なのは、彼が単なる「数字至上主義者」ではなかった点である。
ケネディ政権下での撤退進言
あまり知られていないが、マクナマラはケネディ大統領に対し、ベトナムからの段階的撤退を進言していた。現地調査と分析を重ねる中で、軍事的勝利が現実的でないことを理解していたからだ。もし彼が本当に数字しか見ない人物であれば、撤退などという判断には至らなかったはずである。この一点だけでも、「マクナマラ=数字の誤謬」という単純な理解が不十分であることが分かる。
ジョンソン政権と板挟みの現実
ケネディ暗殺後、大統領となったジョンソンは撤退を選ばなかった。冷戦下で「負けた大統領」になることを恐れ、戦争は拡大していく。マクナマラは国防長官として政策を実行する立場にありながら、最終決定権は持っていなかった。警告を理解されないまま、責任だけを背負う形で戦争は泥沼化する。この時期、彼は典型的な板挟みの官僚だった。
「マクナマラの誤謬」という言葉の危うさ
この言葉は教育的には便利だが、人物像を単純化しすぎている。実際には、マクナマラ自身が晩年に「我々は相手を理解していなかった」「数字に頼りすぎた」と自己批判を公にしている。自らの過ちを言語化し、隠さず語った点は、責任逃れをする人物とは対極にある。
戦争の真実を暴露した内部告発
戦争の流れを変えた重要な存在が、国防総省の分析官だったダニエル・エルズバーグである。彼がリークした内部文書(いわゆるペンタゴン・ペーパーズ)は、政府自身が「勝てない」と理解していた事実を示していた。この告発がなければ、戦争はさらに長引いていた可能性が高い。彼の行為は、愛国か裏切りかという単純な枠では語れない。民主主義において、情報公開がどれほど重要かを突きつけた出来事だった。
ケネディの撤退構想と断ち切られた時間
ケネディ政権末期、米軍顧問団の削減と段階的撤退は具体的な計画として存在していた。これは後年の美化ではなく、国防総省文書や関係者証言によって裏付けられている事実である。暗殺によってその流れは断ち切られ、後継政権は「撤退」ではなく「拡大」を選んだ。この一点が、戦争の性質を決定的に変えた。
本音と建前の乖離を見抜いたエルズバーグ
ダニエル・エルズバーグは、国防総省の分析官として内部にいた人物である。彼はマクナマラ本人と会話を重ねる中で、私的な場で語られる認識と、公式に国民へ説明される内容が正反対であることを知った。内部では「勝てない」「撤退すべきだ」と理解されている。それにもかかわらず、世間には希望的観測が語られ続ける。この乖離こそが、彼をリークへと向かわせた最大の要因だった。
立場ゆえに語れなかった二人
マクナマラもエルズバーグも、立場を無視できるなら撤退が最善であると理解していた。しかし、前者は国家権力の中枢にいたがゆえに語れず、後者は最終的にその枠を越える選択をした。重要なのは、二人とも後年に「仕方がなかった」「誰かが悪かった」とは語らなかった点である。自分が取った行動、取れなかった行動、そのすべてを自分自身の責任として引き受ける言葉を残している。
責任を引き受けるということ
歴史上、多くの人物は失敗の理由を他者や時代に押し付ける。しかしマクナマラもエルズバーグも、自分の判断と沈黙にのみ責任があるという姿勢を崩さなかった。それは英雄的というより、人として極めて強度の高い態度である。誰もができることではないし、だからこそ今も評価が分かれ続けている。
終結と残された評価
アメリカ軍の撤退は1973年、戦争の完全な終結は1975年である。無数の犠牲を出した後に残ったのは、単純な善悪では語れない判断の積み重ねだった。マクナマラは失敗の象徴として語られがちだが、実像はもっと人間的で、矛盾に満ちている。エルズバーグもまた、英雄か裏切り者かという二項対立では捉えきれない存在である。彼らを丁寧に見ることは、同じ過ちを繰り返さないための最低条件だ。
おわりに
歴史を理解するとは、分かりやすい悪役を作ることではない。文脈を拾い、立場の違いを認識し、判断の重さを想像することだ。マクナマラ、エルズバーグ、そして大統領たちを並べて見ることで、数字と現実、権力と現場、その断絶がどれほど深刻な結果を生むのかが見えてくるはずである。


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