ポワロ映像作品 個人的感想日記(中途経過版)

原作既読者として、どうしても納得できなかったポワロ映像作品の話

原作既読者として、どうしても納得できなかったポワロ映像作品の話

原作を読んでから映像を観ると、どうしても比較してしまう。
改変そのものが悪いとは思わない。
だが、物語の「核」を変えられると話は別だ。

私は、原作を読んでから、映像作品を観る。
まだ全てを観ていないが、
観た中で、強く違和感を覚えた作品と、心から良いと思えた作品を整理しておく。

ひらいたトランプ (脚本: ニック・ディア) ― 最大の魅力が消された

原作の魅力は、あの構造だ。

卓を囲む四人。
全員が「過去に殺人を犯した可能性のある人間」。
そこに生まれる緊張と心理戦。

そして、女の子二人の生死の構図
あの冷徹な配置こそが、この作品の核心だった。

だが映像版では、そこが入れ替わっている。

犯した側が生き残り、
無実の側が犠牲になる。
さらに恋愛と母性で包み込むような処理。

それをやってしまうと、物語の倫理が崩れる。

クリスティの凄さは、冷たいほどの公正さにある。
犯した者は、払うべきものを払う。
そこを変えてしまえば、別作品だ。

原作があまりに完成されているだけに、
衝撃が大きかった。

二重の手がかり(脚本: アンソニー・ホロヴィッツ) ― 何を観せられているのか分からなかった

つい数日前に原作を読んでいた。
だからこそ混乱した。

「私の記憶が間違っているのか?」

と疑ったほどだ。

原作のロサコフ伯爵夫人は、軽くない。
ポワロがほんの一瞬だけ心を動かされる、その微妙さが良い。

だが映像版は、全体が軽い。
事件も人物も、表面をなぞるだけ。

誰に向けて作られたのか分からない。

というのが正直な感想だ。

良かった作品たち

三幕の殺人 (脚本: ニック・ディア) ― 最後の言葉に救われる

これは良かった。

改変はある。
だが、物語の芯は守られている。

特に最後のポワロの言葉。
呼び名のエッグだけに、

『転んでもまた立ち上がる』

あの台詞を聞いた時、涙が出た。

罪を暴いた後でも、ポワロは人間を見捨てない。
その優しさが、ちゃんと残っていた。

ナイルに死す (脚本: ケヴィン・エリオット) ― 原作の精神が生きている

最近の映画版を先に観ていた。
あちらも面白くはあったが、原作とは違う。

だからこそ、このドラマ版を観たとき、

「ああ、これだ」

と思えた。

愛の暴走。
嫉妬の破壊力。
誰も本当の意味では勝者になれない結末。

原作の悲劇性が、きちんと描かれていた。

コーンウォールの毒殺事件 (脚本: クライブ・エクストン) ― 誠実な短編映像化

派手ではない。
だが、原作の空気を壊していない。

静かで、誠実で、余計な感情を盛らない。


最後のジャップ警部から逃げる場面も、軽妙で実に良い。

この場面が私のお気に入り。

原作を変えるのであれば、
こうでなくちゃ!
と思う。

短編映像化として理想的だと思う。

原作を大きく改変してしまう傾向

デヴィッド・スーシェ版ポワロの後半シリーズにおいて、かなり大胆なアレンジを加えられた個人的に残念な作品たち。

特に、

  • 犯す側と犠牲になる側を入れ替える
  • 恋愛や母性を強く打ち出して、物語の倫理を塗り替える
  • 原作の冷徹さや公正さをやわらかく加工する

といった改変が目立つ。

それは「ドラマとしての見ごたえ」や「現代的な感情のわかりやすさ」を狙ってのことなのかもしれない。
だが、原作の持つ冷たいほどの公平さや、じわじわ効いてくる構図の妙が失われると、原作既読者としてはどうしても受け入れがたい。

結局、何が嫌なのか

改変が嫌なのではない。

嫌なのは、
物語の倫理を変えられることだ。

  • 犯した者が報われる
  • 無実の者が犠牲になる
  • 恋愛や母性で罪が薄まる
  • クリスティ特有の冷徹な公正さが消える

これをやられると、原作ファンとしては受け入れられない。

逆に、
構造やトリックに多少の変更があっても、
物語の骨格が守られていれば、きちんと響く。

原作が凄いからこそ、映像化には覚悟が要る。
少なくとも私は、クリスティの「冷たいほどの公平さ」を裏切らない作品を観たい。

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