目に見えない暴力

「見ただけ」は加害ではないのか

ある高校生の話を聞いた。

カップルでテレビ電話をしていたとき、
彼が「一人でするところを見たい」と言ったらしい。

彼女は応じた。

その映像は、彼だけのもののはずだった。

同意の範囲は限定されている

彼女が同意したのは、
「彼に見せること」だけだ。

友達に見せることではない。
保存することでもない。
回覧することでもない。

同意は一度きりの万能許可ではない。

範囲がある。

拡散は、軽い気持ちで始まる

彼はスマホに詳しい友達に相談した。
その友達は動画を見つけた。

そして一人に見せた。
その一人がまた別の一人に見せた。

「自分は撮っていない」
「ちょっと見せただけ」

そうやって責任は薄まっていく。

でも、被害は薄まらない。

「見ただけ」も連鎖の一部

保存する。
転送する。
見せる。

その一つ一つが、拡散を支えている。

誰か一人が止まれば、連鎖は止まる。

でも多くは止まらない。

なぜ彼女だけが追い詰められるのか

性的な映像は、特に女性側に重い社会的罰を与える。

「軽い」
「だらしない」
「自業自得」

そんな視線が向けられる。

でも、本当に責任があるのは誰か。

限定的な同意を破った側だ。

デジタル時代の性暴力

刃物も殴打もない。

でも、拡散は人生を壊す。

自殺未遂や不登校に追い込まれるのは、
大げさではない。

データは消えにくい。
噂は広がりやすい。

「見ただけ」は無関係ではない。

その視線も、拡散の一部だ。

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